409 って数字見て思い出す

人の記憶ってやっぱりすごいなあと思う。

409ただの数字ですが

横浜市保土ヶ谷区桜ヶ丘409
たぶん旧表記だけど


あの町で暮らした20年が走馬灯のように蘇る。


長女一才から大学まで
子育て真っ盛りの時代に過ごした町

本当に優しい方々に恵まれていました。

公務員官舎
目の前は側道みたいな小道の先に
丘の上にたった一軒の銭湯がありました。


その銭湯の脇に大きな、大きな
銀杏木が


この時期はまっきいろに色づく。


横浜の丘の上、

更に3階のベランダからは
微かに房総半島が眺められました。

すぐ近くには学校があり、校庭が覗いていました。


学校に行き始めたころは、ちゃんと校門をくぐるまで眺めてましたね。


南北の向きに立つアパートみたいな官舎でしたが、風の通りはよく

2kみたいな小さな作りでしたけれど
5人でわいわい暮らした場所でした。


子育て中は仕事も休み
幼稚園や小学校の役員も務めさせて頂きました。


剣道を習わせていたので、毎週末の体育館でのお稽古は

礼に始り礼で終わる
素足    真冬でも素足で正座で見学でした。


当時の公務員の給与はかなり低め

だから、
何でも手作りが当たり前でした。

今みたいな安いお店はなかったので


様々な手作りやりました。
手編の模様入りセーター
スカート、ズボン、シャツ、


漬物は定番でした。
魚も坂の下に安いお店があり、通いました。


切り身を三枚
1枚はお父さんに
あと二枚で四人で分けられるように
衣をつけてかさましとか


時間かけて、コトコト煮込むみたいな感じでした。



お金はないけど
家族が肩寄せあって、わいわい✨😆✨😆✨ガヤガヤ


夏はひょうたんぷーるというなの
ちびっこプールに一日中



毎日、怒ったり、笑ったり、喧嘩して泣いたり



自分が子供時代には味わえなかった遊びを
子供と一緒に体験してました。


泥んこ遊びもやりたいだけやらせたり
探検家だとかいって、迷路みたいな道を後戻りなしというルールで廻ったり

かまくらをたくさんつくって
滑り台


アレルギーあるのにこっそり
拾い猫をみんなで飼って
喘息発作を起こしたり




優しいありふれた日常がありました。



( ´_ゝ`)と思うのは

この思いでの中にも
いたはずのだんがいない
ヾ(≧∀≦*)ノ〃


いたよね、いたはず、
ありゃあ
微かに運動会とか
ジャガイモ団子を作ってくれていた。


ご飯の時はいたかあ


もっと一緒に遊べば良かったね、

なんか一人で何でもかんでもやるのが
旦那様の足手まといにならないように

自由にしていただかないととか


ありゃ。なんか変な言葉がわいてきちゃいました。

時代錯誤な感じになったので
お仕舞い。


かあさんは
モーニングセットで
心も身体もチューニングして
スッキリします。


UEを日常生活に当たり前にあるようになってから

毎日がこの時代に感じた幸せに包まれた感じで暮らしています。


毎日が幸せかん満載


UEの素晴らしさを
自分が体感して、やっぱりすごいと
おもう毎日です。


一昨日、昨日と元職場に出向いて
もっとみんなにこの感じを味わってもらいたくなりました。


広めます、
医療、介護界のみなさんがまず幸せになって


そうしたらその先や回りにいる人も幸せになる。
日本中が。💕💕💕💕💕💕


何て妄想?
でも叶うと思います。


半径五メートルの幸せの連鎖活動


素敵な絵は伊那市の作家さんが展覧会で入賞した作品です、
東京都美術館で見れます。💕

かあさんの部屋

現役看護師として45年 医療介護界専門コーチです。様々な体験経験を活かし、あなたの幸せをサポートします。

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