働きたい職場にであった方法
前職をやめたのは4月
独立して働くという概念は
なかったです。
47年私を支えてくれた仕事は
看護師
でも出だしは
ただ言われるがままに選んだ
というより、
レールに乗っただけでした。
母の口からくちべらしという言葉を
聞いたとき、
自分の家には私の居場所はないなと。
それは15の時
そして、産婦人科で働きながら、
准看養成学校を卒業したのは17歳
卒業文集の寄せ書きは
【この道より我いかす道なし、
この道を行く】
あれから、47年
紆余曲折ありましたが、
いまだにこうして、
職場にも恵まれ働かせて
頂いています。
看護の道は
私を生かしてくれました。
手に職を持たせて頂いていることの
有り難さを感じます。
とはいえ、
私が私らしく働ける場所に
出逢うのも大事です。
25年間お世話になった
重症心身障害者施設を
※(全介助、医療度は高く呼吸器、チューブ栄養、吸引、モニターに囲まれている方の医療型施設)
辞めてから、今回で4ヶ所目
最初の2年間のなかには
立ち上げて3ヶ月で
ギブアップし
自分が情けなくなる時
もありました。(笑)
その後、
コーチングやエネルギーに
出会い
本当にしたいことは何?
どんなライフスタイルがいい?
どんな貢献ができたらいい?
いろいろ考えたんです。
1*まだまだ働きたいとすると65以上でも働ける。
2*あまり遠くまで通うのはしんどいので、片道30分程度
3*医療度のめちゃめちゃ高いところでモニターに囲まれるのはもういい
4*週に2~3日間
5*障害者を見るのは慣れている。
6*看護師として雇用されたい。
7*夜勤はないところ。
8*そこそこの時間給は欲しい
まあまあ条件を出しました。
これが全部当てはまる場所を
再就職のエージェントに
投げました。
そうそう、何か宇宙空間に
情報を投げ掛けたって
感じですね。
見つからないかなあって、
まあそれもあるだろうなあと、
不思議なことに、
翌日には
どんぴしゃな職場がありますと
言われ、
面接したのは申し込んだ
その週だったのです。
施設長面接で、
今後迎えて行く医療と
施設の在りかた、
利用者への健康サポートの
考え方など話しました。
ここの方針がずれていたら、
止めようと
思っていましたが、
見事にビンゴしました。
なんにもマニュアルが
なかったことが幸いして
やりたいことを
やらせて頂いています。
好きな管理的な視点で、
考えて提案させて頂く。
それが採用されても、
されなくても
一度は受け止めてくださる
環境です。
若いスタッフのみなさんから
すれば最年長。
大切にしていただいている
感じがあります。
先の先を読む事ができるのは
今までの施設での経験知、
ちょっと先走り過ぎかなと
思うけど
このままなにもしなかったら
どうなるのかと言う
論理的結末的
な考え方ができるから、
そして、その考え方を
採用するかしないかは
相手の課題、
これは課題の分離
私が私らしく
生きていても大丈夫
私は私でよい
できる自分も
できない自分もいてもいい。
不完全である自分をも
受け入れる
自己承認
私の居場所はここにあり、
役割もあると感じられる
共同体感覚がある。
アドラーがいう
幸せの条件を満たした場所
新しい職場に出会うには
どんな場所で
どんなことをして、
働きたいかを
まずは1回
すべて書き出して見ること
働きたいが出てこなかったら
こんなところでは働きたくないを
できるだけ沢山
書いてみてください。
働きたくないを書いたら、
それの反対が
働きたい場所ですよ。
例えば
夜勤したくない❗️が
大事な条件だとしたら
夜勤したくないのの、理由は何か?
当直の医者がきちんと
見に来ないだったりして、
そしたら、
医師が適切な指示を
出してくれる事が大事。
適切って何?
エビデンスや治療方針が
納得できる
納得できるって何?
患者さんのことを
大切にしていること。
例えばの例ですが、
こんな風に
ちょっと深く考えて見ると
答えが変わるかも。
次の職場を探す前に
一度やってみてくださいな。
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