№505 久しぶりに看護の話
コーチかあさんです。看護師です、そして医療・介護専門コーチです。
今日は看護職として終末期看護について、考えていることを少し話そうかなあ?
在宅といえるのか?
グループホームで暮らしているかた
この方がいるから請われたと言っても過言ではない。
当時、余命半年と宣告されたそうである。
雇われる数カ月前のことだったらしい。実はもう2年以上前でした。
そんな宣告なんて、全く関係なく、淡々と暮らしていました。
一泊旅行も外出も、毎週末の外食も。
食べることに、一番の楽しみがあり、食べることへの執着は何事にも変わることなく、それは今だに続いています。
そして、様々な特有の治療は、選択されず、過ごしています。
今、この方の肉体に巨大化した塊があります、痛々しいほどに大きくなった塊、腹水が溜まっているわけではなく、実質です。きっと数キログラムはありますね。
当の本人には恐れる死といい概念がないのです。
そして、心配したり、不安になることもないのです。
あるのは、
食べることへの楽しみと執着。
そんな方にも、流石に宣告された言葉が現実化しそうな時期を迎えています。
ちょっと歩くと肩で息をしています。
万全の対策をしていても、数カ所に褥瘡が出来、治るのに時間がかかっています。
浮腫も顕著です。
データはもう確認しても、だからどうなの?と言う話になります。
余談を許さない時のようでいて
ご飯を食べている姿を見ると、
いやあまだまだ大丈夫だよね。
別人のように感じます。
痛みのコントロールを中心に
在宅医療、看護、訪問入浴、エアーマット、トイレ、ありとあらゆる介入を受け入れて過ごされています。
訪問看護師同士での、電話ミーティングも増えています。
こんなシビアな状況なのに、なぜこんなに長く生きることが可能になったのか。
本人の望むことをできるだけ、叶えているせいなのかもしれない。
思い悩む、
いわゆるスピリチャルペインや未来への不安が少ないのかもしれない
ペインコントロールが行き届いているのかもしれない。
(痛みの閾値の表現が異なる可能性もあるかな)
食べることへの、貪欲と言えるほどのこだわり。
それが、疾患の勢いすら抑えているのではないかとさえ感じるのである。
胃が拡張できるスペースがどこにあるのだろうと考えてしまうほどに巨大化した塊があるのに。
障害を得ていること
それは時には、こんな風に苦痛少なく過ごせる時間を与えてくれている。
更にいえば、折角の時間
本当に望むことは他には、何かないのか?
改めて、考えたくなリました。
30日後の死のワーク
そんなコーチングの中のワークを考えながら、
やれることを、本人が望むことを提供できないだろうか?
関わる方と共有したいテーマでもありますね。
来週は提案してみようかな?
今いっとき、
多分一番大切な時間と感じるから。
看護師満載の記事でした。
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