見取りの文字が気になる
アンテナに届くものがある。
今日は見取り
ナースをしていたときでも
何故か、余り死に巡り会う機会は
少ない方だった。
それよりは身内の死のほうが
印象が強烈すぎたのかも知れない。
病院での死は
壮絶な時間、戦いの時間のあとに
死があった。
生きることに戦う戦士は
医師であり、看護師であり
目の前の命をつなぐのが使命だった。
医師にとって治療して治す
治して返す
治らない究極に死があった
ような気がする。
時代が変わり、老人が死を迎える
それすら医療が発達しすぎて
何だか難しい時代だなあと感じている
自分もいつか死を迎えるはずなのに
どんな風に死ぬのかがイメージしにくい時代なのかも知れない。
そんなときに出会う方々のなかに
見取りを地域で取り組んでいる方もいる。
まだまだ若かったかあさんが
よく読んでいた本に投稿していた
ドクターが
地域で取り組んでいる見取りを報道されたりしている。
穏やかに看取る
自宅で看取る
自分が暮らしている場所で死を迎える
意外に簡単ではない
医師が
看護師が戦った時間を
家族が
訪問介護や看護、在宅訪問医師が
担うのである。
医療が選択すれば何でも受けられる時代に
改めて
どこで、どう死を迎えるのが
自分の望む姿なんだろうか?
どう生きたいと同じように
どう死にたいのかを考えるのも
悪くないかと思った朝でした。
ポジティブな話より
ちょっとネガティブなポジションから
発想してみるのが
実は好きです。
こんなにはなりたくない
こんな風にはなりたくないが
かなり明確に出せる
それは悪いことじゃない。
回りに迷惑かけたくない。
じゃあ回りに迷惑って何?
あなたが迷惑と思っていること
本当に迷惑と相手は思うのかなあ?
何て切り口を変えてみたり
全くの他人だったら、どう見えるのか
何ていう視点の切り換え
実は大事なんです。
見取り、いづれは看取られる
それは誰かの話ではなく
自分事でした。
看護師歴45年
管理職歴20年
沢山の患者さんと家族のお話をお聞きしていました。
谷津さんが夜勤だから
今日は安心して帰ります。
あなたのその
なんか今日は気に入らないのよねっていいながら、いい感じになるまで関わってくれるのが好きなのよ
何て家族からよく言われてました。
その方がその人らしい
ほっと力が抜けたいい顔をしている
その顔が好きで、その顔をいつもしていてほしくて、関わりにこだわりを持っていた
重複障害者施設の看護師時代
沢山の部下から
谷津課長と働いていた時代が
自分が目指す管理職の理想です。
あの時代にやらされた事が
今の自分の基礎です。
あんなに話し合った経験はたからです。
何ていってくれた部下たちが
実はかあさんを支えてくれていた
有能な方たちだったのだと。
支えて、支えられ
みんなでより幸せになりたいです。
つらつらと書いている間に明るくなってきました。
今日も一日
最高、最善な一日にしましょう❗️(笑)
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