エピソードとエッセンスのマトリックスを文字おこしをして思うこと。
これを読んでくださっているあなたは、どんなお仕事に就かれていますか?
かあさんは15歳で看護の道に入りました。←☚耳タコのあなた、すいません。
母から言われたのは口べらし
あたしはとにかく家を出たかった。
看護の道に入る姿としては少数派
でも考えたら、恵まれていました。
見たことのない毎日のご飯
自分の部屋
なんと水洗トイレ(ボットンからの変化はありがたかったです)
毎日入れるお風呂
しなくていい妹の世話
ありがたいお小遣い
学校に行かせてもらえる←後で考えたら働いていた給与から天引きされてました。しかも4年とかの分割でしたね。
結局やめるときには残額全部返しましたから。
夢のようなきれいな暮らし
カラーテレビがありました。
もちろん、ご飯づくりの買い物や準備などのお手伝いは当たり前
お片付けも掃除も洗濯も当たり前
だけど、かあさんにしたら
格段の裕福な生活にレベルアップしました。
あまりにも恵まれていなかったので、何があっても天国でした。
あの頃は何が楽しかったんだろう
新しい学び、人体の不思議?解剖生理学、薬理学、外科学。
なんでも覚えるのが楽しかった!!
そして、それをコンパクトにして、キーワードで覚え、テストでは文章に戻す。初めて自分で勉強した時代でした。
15歳
看護の道に入ったというより、助けて頂いた時だったのかなあ。
患者さんは元気な、健康な赤ちゃんを生むために来る人ばかり
まあその影には透明になる赤ちゃんもいましたけれど。
倫理感とか、まだまだわからない年頃でした。
とにかく学べることが
学んだことで、最優秀賞とかもらえたのは嬉しかったし、こんな私でも祝ってくれるんだあと思ったかな?
エッセンスまでには行かないな??
この時代には看護を考えるエッセンスには向かなかったね。笑笑
まずは暮らすのに精一杯だったかな
生き延びる為に選んだたった一つの就職先でしたが、
結局まだまだ続けています。
それはかあさんを普通の暮らしに導いてくれたからでしょうか?
手に職がある、専門職の強みを意識したのは25歳
他のパート職種の2倍の給与でした。
もうやらないと決めて出産し家庭に入ったのに、働くことになり、職安で仕事探し、その時に資格の凄さに気づき、死産した方に向き合う中で、看護師として、もう少しマシな対応はなかったのか?これでいいのか?
私はこれでいいのかと気づいたのかもしれなかったです。
結婚は早かったけど、ちょっと大人になった25歳でした。
ここからの受験。専門学校での学び、
障害者施設での正職員として働き始めたのは
かあさんが本当の意味での大人になった人生の転換期でしたね。
看護とは。
生きるとは。
家族とは。
それを常に教えてくれたのは患者さんでした。
何が本当に患者さんにとって幸せなのか?
ご家族にとって、障害を持つ子を含めた幸せは何か?
家族とは?
生きるとは?
暮らすとは?
幸せとは?
そんな大きな命題を抱えて、その見つかるとも、見つからないともいえる答え探しをするために生まれて来たのかなあ。
エピソードとエッセンスの話が
この世に生を受けた意味みたいになってしまいました。
本当にしたいこと
誰かと関わり究極の命題に向き合うことを共にやりたいのかもね。
あなたの生まれてきたわけは、
父と母に出逢うため
そして母を幸せにするため
母を幸せには叶わなかったから
周りの人をしあわせにするために
愛と感謝をふりまいてね
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