どこのポジションで、エピソードを聞いたり、感じたりするか?
究極人は自分を中心にして話を聞いたり、見たりしている。
そして、自分の価値観やものの捉え方をして自分なりのストーリーを描いている。
良い悪いではない。
それが普通であると誰しもが思っているのである。
価値観や良い悪いの判断はみんな違うのである。
そこにまずは気づくとものの見方が俄然変わります。
そして、目の前で繰り広げられる様々なことから、学ぶことがあるとしたら何があるのだろうと考えてみる。
最近はそんな風に考えることが多くなりました。
今朝も途中から乗ってきて、二人座席の隣に座った体格の良い青年。
他人から自分の身体に触れる事に違和感のあるかあさん、←みんなそうだよね。満員電車苦手だし
その方は、全く感じないようでした。
あっさり、もう少し奥に寄ってくださいませんか?と伝えましたが。
全く意に返さす
相変わらず、身体に腕がぶつかる違和感
だめだなあ、仕方ない、朝の電車で揉めるなんて。
どうするかは選択権は私に。つまり自己決定性
快速に接続する駅で乗り換えようと決めた途端
何やら、独り言が始まりました。
あゝ、社会性に微妙な感覚の方だったのかぁと。
仕方がないとは言えませんが、なるほど、外側からは全くわからないものですね。
とはいえ、はい乗り換えました。
きっと昔だったら、もう今日最低、変な子が隣に座ってさあ、折角終点まで座って行こうと思ったのにさあ、
きっと、こんな話で誰かに話してたかもね
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