どこのポジションで、エピソードを聞いたり、感じたりするか?


究極人は自分を中心にして話を聞いたり、見たりしている。






そして、自分の価値観やものの捉え方をして自分なりのストーリーを描いている。



良い悪いではない。



それが普通であると誰しもが思っているのである。



価値観や良い悪いの判断はみんな違うのである。




そこにまずは気づくとものの見方が俄然変わります。


そして、目の前で繰り広げられる様々なことから、学ぶことがあるとしたら何があるのだろうと考えてみる。




最近はそんな風に考えることが多くなりました。




今朝も途中から乗ってきて、二人座席の隣に座った体格の良い青年。



他人から自分の身体に触れる事に違和感のあるかあさん、←みんなそうだよね。満員電車苦手だし



その方は、全く感じないようでした。

あっさり、もう少し奥に寄ってくださいませんか?と伝えましたが。



全く意に返さす


相変わらず、身体に腕がぶつかる違和感

だめだなあ、仕方ない、朝の電車で揉めるなんて。
どうするかは選択権は私に。つまり自己決定性


快速に接続する駅で乗り換えようと決めた途端




何やら、独り言が始まりました。


 あゝ、社会性に微妙な感覚の方だったのかぁと。


仕方がないとは言えませんが、なるほど、外側からは全くわからないものですね。



とはいえ、はい乗り換えました。


きっと昔だったら、もう今日最低、変な子が隣に座ってさあ、折角終点まで座って行こうと思ったのにさあ、


きっと、こんな話で誰かに話してたかもね


アドラー心理学をベースにしたコーチングを習い、些細なことも考え方に幅が出てきました。




今、自分が何を感じたのか、本当はどうしたいのか?

  

それをどういう選択肢を選ぶのか。



じっくり、何回も何回も

できるように、やれるように積み重ねた3年間



無駄じゃなかった

染み付いてきた考え方


アドラー心理学を元にしたコーチング



なかなか人生が楽に生きられるあり方やスキルが沢山つまってます。






































かあさんの部屋

現役看護師として45年 医療介護界専門コーチです。様々な体験経験を活かし、あなたの幸せをサポートします。

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